永いお付き合いのある患者さんとは絆が強くなるものです。
とくに手術前の危険な状態や大きな手術を乗り切った患者さんのばあいは絆も格別なものがあります。
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下記の患者さんはちょうど10年前、私がまだ京大病院で勤務していたころ、連合弁膜症それも巨大な脳梗塞を患われたあとで、しかも過去に心臓手術を受けられたあとの再手術でした。
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リウマチ性僧帽弁狭窄症のため弁形成術を受けられ長年経ってすっかり壊れた僧帽弁を人工弁で置換し、大動脈弁も同様に置換し、心房細動に対してメイズ手術を行いました。脳の保護には万全を期しました。
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リスク(危険性)はあっても是非元気になりたいという患者さんの想いをくんで、当時のチーム諸君は皆よく頑張り、患者さんもすっかりお元気に退院して行かれました。あまりリスクの高い手術はやらないようにという当時の一部の先生方のご意見はありがたかったのですが、こうした患者さんを見るたびに努力は報われるという想いを新たにしてしまいます。
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その後患者さんの会などにもご出席くださり、旧交を温めていました。
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つい最近、手術から10周年ということでお便りを頂きました。
そうか、もう10年も経つんだなあという感慨とお元気で楽しく暮らしておられることで皆の努力が報われたという喜びを頂きました。
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以下はその患者さんからお便りです。
またお元気なお顔を拝見する機会があればうれしいです。
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******** 患者さんからのお便り ************
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弁置換十年後の感謝状
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拝啓
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「庭先やノスタルジック石蕗黄なり」
お礼状を出したくて高の原ハートセンターにお聞き致しましたら御退官されたとおっしゃいました。
米田先生長い間おつかれさまでした。
素敵な奥様と素晴らしい時間をお過ごしになっていらっしゃる時に申し訳ありませんが感謝を申し上げたくてペンをとりました。
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2005年12月12日二つの弁置換、心房細動予防の処置をしていただき十年が経ちました。
この十年間、最も充実し安心して過ごせてまいりました。人生悲喜こもごもですが、毎朝めざめさせていただいていることが一番の大きなよろこびで、しあわせです。
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この間に、死にそこないの私にも初孫を授けて下さいました。今までしたくてもできなかった事、海外留学ニュージーランド、そして国内海外旅行もできました。国内はかつて私が倒れた時、五時間も見守ってくれていた柴犬キャロットと犬の泊まれるペンションでの旅も致しました。心臓手術前、倒れて死にたい死にたいと思っていた頃、娘の海外ホームステイで海外の素晴らしさを知りました。おかげさまにて手術の後は主要七カ国プラス五カ国を訪れることができました。
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忘れられない悲しみは私が病に倒れた時、見守ってくれていた犬のキャロットが十七才で永遠の旅立ちをした事です。
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2008年頃から不整脈が出てしまいこれまで体を酷使して来たからと反省致しました。四十九年前の手術の後十七才で体育会の百メートル走で十四秒四、一位を取ったのが人生最後の百メートル走でしたが、その後も走る練習は好きでした。料理の勉強もしたくて昼間近所の外科にて仕事をして育英会の返金をしつつ、月二回夜間の料理専門学校も通いました。
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こうして酷使したため残念ながら倒れてしまったのです。でもありがたい事に弁置換していただいた後は熊野古道中辺路も楽しみ歩かせていただきました。
不整脈のほうは本年八月二十四日京大病院にてカテーテルアブレーションをしていただきました。
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今は早朝里山の散歩より一日が始まります。筆舌に尽くし切れない感謝でございます。
夢と希望を持ち十一年目を父の分まで生きさせていただきたいと思います。
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「山眠る父の命日はるかなり」 二十才時死亡
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米田先生くれぐれも御自愛なさり素敵な時間をおすごし下さいませ。
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大変お世話になり助けていただいた**先生、**先生の住所がわからなくてとても残念です。
お礼を申し上げたかったのですが。
お元気でいらっしゃったらいいなと祈っています。
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2015年 12月12日 米田先生
執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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