僧帽弁形成術の中には複雑で難しいものもあります。
以前に弁形成を受け、その後僧帽弁閉鎖不全症が再発してからの再手術はその一つです。
特に元の病気が先天性つまり生まれた時からの弁膜症の場合は弁が十分発育していないこともあり、工夫が必要です。
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以下のお便りはまだお若い、人生これからという患者さんからのものです。
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昔、子どもの頃に弁形成術を受け、ケイ・リード法という弁が漏れているところを弁輪レベルで閉ざす手術です。こどもは成長するため大人のようなリングは使えませんのでこうした方法も必要なのです。
問題は長年月ののち、再手術する時に弁が十分機能するだけのものを持っているかどうか、です。
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この患者さんの場合は、昔の手術で残した部位が前尖・後尖とも逸脱し、かつ昔閉ざした部位の近くは後尖が低形成になっていました。昔の手術で弁の3分の1は潰れた形のため弁輪形成はあまりできない形でした。
そこでまず前尖後尖の逸脱部に人工腱索をそれぞれ4本合計8本立て、逸脱部はきれいにかみ合うようになりました。
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しかし後尖の低形成部は放置できないため、心膜パッチで拡大し、弁輪を小さくしなくてもきちんとかみ合うようにしました。その上でリングを用いて、弁輪を小さくしない、安定だけ図るようにし、弁はきれいに作動するようになりました。
この手術はこれまで蓄積して来たバーロー症候群やリウマチ性僧帽弁閉鎖不全症、あるいは感染性心内膜炎への手術への技術を駆使したもので、慣れた方法の組み合わせだけのため比較的余裕がありました。
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世の中には弁形成は無理と言われて泣く泣く弁置換つまり人工弁挿入手術を受ける患者さんが多数おられます。できればご相談いただければ、お役に立てるかも知れません。
この患者さんのようにケイ・リード法などで昔弁形成を受けられた方には朗報になるでしょう。
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以下はその手術で人生を取り戻した患者さんからのお便りです。
また外来で元気なお顔を拝見させてください。
******** 患者さんからのお便り *******
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去年の**に僧帽弁閉鎖不全症の再手術で形成術をしていただいた****です。お礼の手紙を書こうと思いつつ、今になってしまいました。
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私は7歳の時、僧帽弁の形成術を受けました。
そして23歳で僧帽弁が壊れてしまい、再び手術しなければならなくなってしまいました。何ヶ所か病院を回り、医師と話しましたが、再手術は難易度が高く、人工弁を付ける確率が高いと言われました。
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私はまだ23歳です。生体弁をつけて3−6年で壊れて再々手術も嫌ですし、機械弁を付けて一生子供が産めなくなるのも嫌でした。
そんな時に偶然にも米田先生のホームページを見つけたのです。
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そしてそこには再手術で形成術が成功し、無事に赤ちゃんが産めた事がのっていました。もう米田先生に手術をお願いするしかないと思い、大阪に向かいました。そして初診日に手術の予約をしました。自己血輸血をする為に週に1回ずつ、4回通ったおかげで、他人の血液をもらう事なく手術できました。
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手術後、米田先生から「弁がぐちゃぐちゃに壊れていたから、他の病院だったら、恐らく弁置換術になっていたよ」と言われ、はるばる地方から大阪まで来てほんとうに良かったと思いました。再手術で形成術が大成功、心から感謝しています。ありがとうございました。
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今まではプールも顔をつけてはいけない、マラソンは禁止と規制を受けていましたが、これからは、どんなに激しい運動もOKと言われ喜んでいます。それに子供を産める身体である事が何よりも嬉しく思います。
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それから会社の定期検診で内科の先生が、心雑音がしないと驚いていました。先生が「機械弁を付けたの?」と聞いたので、「再手術だったけど形成術でできました」と言ったらヘェ〜と言ってました。
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手術後、半年近くたちましたが、顔色が良く、食欲があり、仕事をしても、手術前のように疲れません。
米田先生と出会えた事でこんなにも、健康を取り戻し幸福な気分を味わっています。どんなに感謝してもしきれないほどです。ありがとうございました。
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米田先生へ
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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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