2008年冬に人工弁機能不全のため緊急で救命手術(僧帽弁置換術 の 再々々手術)を受け、元気になって頂いた京都在住の70代男性の患者さんからのお便りです。
この患者さんのブログから許可を得て転載させていただきました。
人工弁機能不全は文字どおり人工弁が機能しにくくなる状態のことですが、とくに金属でできた機械弁の場合は危険な状態となることが多く、要注意です。
なおこの頃は名古屋ハートセンター建設中にて、米田は豊橋ハートセンターに勤務し、手術も豊橋で行いました。
末尾の部分は恐縮・汗顔ものですが患者さんのご厚意にてそのまま転載させていただきました。
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誕生日が5つ
誕生日が5つになった。 私の真性の誕生日は(その時のことを自分がしっかり覚えているわけではないが)8月3日午前2時と記録されている。 2つ目の誕生日は、1971年10月19日である。 この時の誕生は自分でもしっかり覚えている。 この日、神戸大学病院心臓外科教室の麻田栄教授の御執刀を得て、私の心臓の僧帽弁が人工弁に置換された。 当時、この種の手術は未だ実験段階にあり、私の場合、前後3ヶ月に亘る綿密な検査、手術、治療を経て、無事に退院でき、社会復帰することが出来た。
3つ目の誕生日は、1988年4月8日である。 4月8日はお釈迦さんの誕生日でもある。 私はその日、松江日赤病院で2回目の弁置換手術を受けたのであった。 2回目となると、さすがに、難産であったが、当時の松田部長の的確な処置により、甦ることが出来た。
4つ目の誕生日は2001年6月21日である。 当時、満70歳ともなって、松江から故郷の京都に還り、ホットした矢先であった。 当時、京大医学部付属病院の心臓外科教室には、米田正始教授が居られた。 教室の全スタッフ、看護師さんの緊密な連携のもと、私の心臓には、僧帽弁の他にも異常を来していた大動脈弁の人工弁への置換も行われた。 これを心エコーで観察すると、2つの人工弁が巧みに協調して動いてくれているのを見ることが出来る。
そして今回、5つ目の誕生日は、2008年2月13日である。 昨年末から、京大病院循環器内科で入退院を繰り返していたが、先生方や看護師さんの極めて正確、懇篤な処置にも拘わらず、内科的には、治療不能の段階に達していたのだった。
この時、前教授 米田先生は豊橋のハートセンターにスーパーバイザーとして在勤されておられた。 娘を通じて、連絡を取ったところ、直ちに手術すべきであるから、緊急に来院しなさいとのアドバイスを受けることが出来た。 2月12日早朝、、京大から直接、豊橋ハートセンターへと酸素吸入を続けながら走り、転院したのであった。 この時の、京大循環器内科の先生、看護師さんの皆さん方の懇篤な御配慮には、厚い感謝の念でイッパイである。
息子の車は早朝の名神を走り、正午には、豊橋ハートセンターに着いた。 必要な検査のみを受け、米田先生からは家族全員に対して、実に明確な説明を受け、質疑応答が繰り返され、そして、私も家族も充分に納得し、安心して、翌、2月13日、4回目の心臓手術を受けたのであった。
米田先生の御執刀とセンター全スタッフの強力なサポートのお蔭で、この日が私の5つ目の誕生日となったのであった。 手術直後から、いずれも初めての豊橋にあって、吾が妻、娘、息子夫婦らが、とりわけ妻は私と同年齢でありながら、豊橋に連泊し、私と同じ病院食を食べて、「減塩食」と言うものを研究しながら、私に付き添い、介護してくれたのであった。
入院してから、18日目、4年に一度の2月29日(大安)、再び家族全員で京都の自宅に帰還することが出来たのであった。 聞けば、スタッフの先生方の間でも、開胸心臓手術、3回というのはあるが、4回目というのはさすがに少ないと言うことであった。
ちなみに 神の手 とも言われる 米田先生のホームページは下記にあるので、参考になさって下さい。
なおまた、私の娘の立場からのドキュメンタリーが、下記に記載されていますので、興味のある方はご参照下さい。
http://megumu.tea-nifty.com/megumu/2008/03/index.html
2008-03-06
神の手
神の手と呼ばれるお医者さんに父の命を助けていただいた。
1年前まで神の手と呼ばれるお医者さんは京都にいたのだが、今は、京都にいない。週の半分が愛知県豊橋、残りの半分は神奈川、日曜日にだけ京都に戻って来る。
父の心臓の3回目の手術のときに主治医だったそのお医者さんは、病院内の院内抗争(つまりは「白い巨塔」)のため、心臓血管外科を追い出されてしまっていたのです。地位保全の裁判まで起こしたのだが、京都に留まることはできなかった。
命の期限を切られた父に、残った病院の心臓血管外科(現在機能停止中)の医者は「私にはようしません」と匙を投げ、あとは内科の問題だと、循環器 内科に丸投げした。ただ、男気のある循環器内科の若いお医者さんは、一生懸命手を尽くしてくれた上に、複雑な事情にも関わらず、「セカンドオピニオンを」 という私たち家族の申し出に誠意をもって応えて下さり、すぐに父のデータをその先生のもとに送って下さった。
なんせ時間がない…。外科は、チームが必要。京都でも手術ができるよう準備は整えているようだが、急な手術&リスクの高い手術なので、チームを組むにも人も時間も場所も足りない。
ということで、急遽、愛知県豊橋市の豊橋ハートセンターへの転院を決意した。
金曜日にデータを送ってもらって、土曜日にその医者の自宅に到着。唯一そのお医者さんが京都に帰ってくるのが日曜日で、日曜日にデータを確認。夕 方に電話をし、万全の体制でやってもらいたいので、ともかく豊橋に行きます!と決断した。お医者さんが受け入れを決めて下さり、正式に転院が決まったのが 月曜日、翌火曜日(12日)に、京都から豊橋まで車で転院。
豊橋に行きます!って言ったものの、それからが大変。第一豊橋ってどこ…って地図を探す始末。昨日見舞で京都にきて帰ったばかりの弟(名古屋在住)をすぐに戻ってこーいと呼び出し、ホテルを押さえてもらう。
父はかなり弱っている。だが、救急車を出してもらえなかったため、弟の車に酸素ボンベと車いすを積んでの移動となった。
そのさなか、ばたばたしているところを物陰から見ていた人がいた…
見舞客と、医者との対応でばたばたしてベッドが空になった30分ほどの間に、なんと財布と預金通帳を盗まれた。健康保険証などはおいてあったので、プロの仕業。直前に来てくれた見舞金も全て盗られた。警察が来て、被害届を出すことになった。弱っているところに事情聴取、おまわりさんもあまりのことに「元気出して下さい」といたわってくれた。
死にかけている病人からお金を取るなんて、絶対に許せない。
が、父は一言、「厄払いや」…
そのドロボウが悪い厄を全部持って行ってくれたお陰で、それからはトントン拍子。
火曜日は、朝から晴れてました。
次の日は京都は大雪だったので、もし一日遅かったら、雪で関ヶ原を超えられず、酸素ボンベも尽きて、雪の中救急車も走れないし、どうなっていたことか…
そのまま緊急入院で豊橋入り。もう道中の長かったこと…。数日間、毎日動悸がしてこっちの心臓までおかしくなりそう…。
翌水曜日に緊急手術。4回目の心臓の手術。リスク30%と言われた。つまり、生存率70%。普通なら50%以下のところだが、その先生のお陰で20%稼げた。
外科のお医者さんは、創意工夫に溢れたアーティストだと確信した。あらゆる状況を考え、どうしたら良いか、いろいろ工夫をして下さった。父の心臓 には、人工弁が2つ入っている。今度が4度目の手術。弁置換手術を3回受けているのだが、そのうちの僧帽弁周囲の逆流がひどく、赤血球を壊すために溶血し ていたのだ。つまり、最初は小さな孔から始まるダム決壊と同じ、氷の上で一箇所ヒビが入ると、パリパリぎしぎしと次第に裂け目が酷くなって、最後バリっと 崩れ落ちるのと同じこと…。父の心臓、最初は小さな孔(血液が壊れるぐらいなので、ほんの小さな孔)だったのが、なんと4箇所の裂け目に発展していたらし い。
最近のカテーテルもすごいね…。手首からできるんだって…。私の仕事は、カテーテルやら内視鏡の翻訳の仕事。だが、実物を見たことはない(たけしの「本当は怖い家庭の医学」で実際に動かすところを、ほぉって見る程度)
さて、午後4時から始まった手術…終わったのは、夜中の2時半だった。
先生方は当日2度目の手術。つまり、その日はぶっ通しで手術ということ。外科医はつくづく体力がないとやっていられない。
家族待機室で待っていたが、待ちくたびれて看護婦さんが呼びに来たときは、完全に寝ぼけまなこでした(^^;
豊橋ハートセンターは、全国でも10の指に入る心臓専門の病院。とても気持ちのよい対応だし、なんというか全てがテキパキ、対応も早い。
2日後にはなんとICUから重症患者の個室に移り、その後大部屋…なんと二週間余りで退院の運びになった。以前に京大病院に入院していたときは、肺炎を起こしたこともあり、ICUも長く、入院も手術後1ヶ月だった…
心臓は身体の大元なので、悪くなるのも急激だが、良くなるのも早い。後半は、父は暇をもてあましておりました…
そして昨日、四年に一度の2月29日の大安、快晴、無事に父は退院しました…。
ということで、大変な大変な日々でした。 豊橋にも一時滞在しておりました。京都との往復も大変でした、といってもまぁ新幹線のこだまで1時間半だけど。
あまりの急展開に、予定は全てキャンセル。仕事はキャンセルするわけにいかなかったので、暇を見つけてやってましたが、今回、初めてマクドナルドから、無線LANで接続できました……。ニフティのコネクトforモバイルが、手動で設定しなくてもいけたので便利でした。
インドのボランティアの方は、みんな渡印直前だったので、こんな状況にも関わらずごめんねごめんねといいながら容赦ないメールに私は襲われました…(^^;
今回の収穫は、父母ともに携帯メールができるようになったこと…
娘いわく「暇は人間を進歩させる」んだそうだ。
2008.03.03 in ほのぼの日記 | Permalink | Comments (1)
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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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