医師と患者さんとの絆というのは本当に強いものがあります。
といっても何かのすれ違いや不運なことが重なってその絆や信頼が揺らぐことはあり、
お互いいつも注意と努力が必要ですが。
かつていのちをかけて、覚悟を決めて、一緒に病気と戦い、
そして誰もが祈るだけだった状態から元気になって下さった患者さん(Mさん)と先週末、8年ぶりにお会いしました。
感慨深く、このブログで少しご紹介したく思います。
Mさんは当時12歳の女の子で、以前に弁膜症の手術を他チームで受け、
その後心筋症・心不全が再発・悪化したため心臓手術のため私のところへ来られました。
今から8年前のことです。
Mさんの心臓は左室駆出率が7%未満つまり健康な心臓の9分の1のパワーしかなく、
以前に取り付けられた人工弁も動きが悪くなり、
危険な状態でした。
心臓は大人サイズ以上に腫れ上がり、あと何週間もつかという危篤状態でした。
あまりの心臓の弱さに、前向き治療を自認していた私でさえ、これは心移植のほうが患者さんのためになる、と考え、
当時、国立循環器センターの北村惣一郎先生や大阪大学の松田暉先生らをはじめとする心臓移植の先生方にコンサルトしたほどです。
その時に頂いたコメントは、
「たしかにこの患者さんには心移植が必要です。
しかしこの年齢と体サイズに合う心臓はいつ入手できるかまったく予想がつきません。」とのことでした。
当時はまだこどもの心移植は認められていませんでした。
カンファランスのあとで個人的にご相談しても「米田先生、頑張って」と真面目にお願いされ、とぼとぼと帰途についたことを覚えています。
しかし生きて戴くためには手術しかない、
さまざまな角度から内外の智恵を集めて検討しました。
そしてMさんの部屋へ行って、手術をお話をしました。
「こんな苦しいときに嫌な話しで申し訳ないんだけど、君の心臓を治すには手術しなければいけないんだよ、手術させてくれる?」と聞きました。
まだ12歳のこどもさんですし、
これまで心停止やマッサージ、補助の風船ポンプ、人工呼吸、ICUその他さまざまな苦難を味わっておられるだけにきっと断られると心配していました。
ところがMさんの返事は「先生、手術して下さい」という、何と二つ返事のOKでした。
おそらく当時の京大小児科の先生方が患者さんとの信頼関係の中できちんと相談して下さったことと、
患者さんやご家族の強い意思、生きることへの姿勢などの賜物と思いました。
ともかく本来心移植すべき12歳の患者さんのいのちを、
それも患者さん自身の口から託されたわけで、
私は思わず襟を正したのを覚えています。
大変な手術と治療にはなるが、皆、絶対助けるという決意で臨みました。
手術は当時(2002年)としてはまだあまり知られていないセーブ手術と僧帽弁の再置換術、
それらを心臓を止めずに行いました。
念のため海外の先生や当時葉山におられた須磨先生らの御意見も戴き、
手術前にほぼ設計図が頭の中にできていました。
心臓手術は予定どおりの形で完遂できました。
心臓も予想以上に改善し、少しずつパワーが戻って来ました。
しかしそれまでの永く苦しい心不全の闘病生活でMさんの足腰は弱り切っており、
呼吸する力さえ足りない状態で、
何週間レベルの時間をかけてゆっくりと人工呼吸器を離脱し、リハビリを進めて行きました。
そして3カ月ほどたったころ、
彼女が病院から学校の卒業式に行く時には、チームの関係者は皆、涙したものでした。
Mさんに行った手術はその後アメリカ(ロッキーマウンテン弁膜症シンポジウム)やドイツ(ライプチヒ)の国際シンポジウムでも講演させて戴き、
他の患者さんの治療にも役立てて頂きました。
国内の講演などでもご紹介し参考になったとよく言われました。
その後もMさんの経過は定期的に小児科の先生からお聞きしては安堵していましたが、
私が京大病院を去ってから2年近く時間が経っており、
Mさんのことを思い出しては気にしていました。
そこへ昨年末、欧米のジャーナルにMさんの手術とその後の回復の報告が論文として発表されました
(英語論文244番をご参照下さい)。
危機的状況の心不全から心臓手術で回復し7年以上元気に暮らしていることを知りました。
京大小児科の先生方は当時の心臓チームの努力がこうして報われ、
他の心不全患者さんの役に立つようにと論文発表して下さったものと感動しました。
その論文のおかげで小児科の先生方とお話したのがきっかけになり、
Mさんファミリーと久しぶりの面談になりました。
8年ぶりにお会いするMさんは立派な社会人になられ、
お母様も以前と変わらぬ活発な雰囲 気で、うれしく思いました。
お父様は所用ができて来られませんでした。
Mさんが元気に毎日を暮らしているだけでなく、
社会に役立つような仕事をしたいと、勉強し、
また社会活動もやっておられることに感心しました。
あの厳しい状況、あとどのくらい命が持つかわからない状況で
自ら決断し手術に真正面から向き合ってくれた12歳のMさんの雰囲気は大人になっても同じでした。
来年は成人式に参加したいとのことでした。
先日のオリンピックのあと引退を決めたスピードスケートの清水選手のことばを借りれば、
私たちのやって来た治療は間違いではなかった、と思いました。
またMさんの重症心不全への心臓手術と治療の経験が、他の患者さんや先生方のお役に立っていることをMさんとお母さんは大変喜んでくれました。
その日、急用で来れなかったお父さんも、
私が京大病院にいた頃に心の中で熱く支援してくれていたサポーターであることを知り、じーんと来ました。
京大病院時代に感動することは何度もありましたが、
そのほとんどはこうした極限状態の患者さんの決断と頑張り、そして見事なカムバックでした。
この感動がある限り、いくら割に合わない3K職種と言われても心臓外科医は辞められない、そう思いました。
Mさん、お母さん、お父さん、ありがとうございました。
米田正始
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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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