2010年3月1日 バンクーバー冬季オリンピック(2)

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バンクーバー冬季オリンピックが17日の熱い競技を終えて閉幕しました。皆さん多くの感動や悔しさ、あるいは夢を感じられたのではないかと思います。

フィギュアスケートはじめさまざまな競技で釘づけになってしまいました
女子フィギュアスケートの浅田真央選手とキム・ヨナ選手の熱戦の時にはちょうどお昼時ということもあってか名古屋ハートセンターの職員食堂では皆さんいつもより結構長く食堂にとどまってテレビにかじりついていたように思います。この熱気というか一体感のようなものはWBCの最終戦、イチローの決勝打打席以来のような気がしました。浅田選手の地元・名古屋ということもあって銀メダルは残念、しかしキム選手もあれほど立派な演技をよく頑張ったという公平な称賛の空気も感じました。

今回の冬季オリンピックで見られたひとつの面白い傾向は個人が国籍より重視されたケースが増えたことでした。

2月24日の朝日ドットコムで、「薄らぐ「日の丸」意識」というタイトルでそうした傾向が論じられていました。
今回の五輪は過去のそれと比べて少し様子が違い、「国家」をあまり意識しない大会になっているというのです。

たとえばロシア国籍で参加したフィギュアスケート・ペアの川口悠子選手、日本代表で出場し他国から参加する選手たちを見ていますと自由なものの考え方が普通になりつつあることを感じます たアイスダンスのキャシー・リード、クリス・リード姉弟、米国代表として参加した長州未来選手など、これまでにあまり見られなかったパタンです。そもそも五輪憲章に「はオリンピック競技大会は個人種目または団体種目での選手間の競争であり国家間の競争ではない」と規定されているそうです。

個人の自由や尊厳、生きることの意味、国家や組織の意義など、さまざまなことを考えた時代の流れでしょうか。ふと振り返れば医者の世界もつい最近までは医者はどこかの「教室」に所属し、一生涯その代表者である大学教授の指令どおりに病院を移り変わるのが普通でした。それが新しい研修制度が発足した数年前から急速に崩れて、大学や教室の求心力低下、教室が人手不足になって医師を派遣できないための地域医療の崩壊や重労働ハイリスクの外科等メジャー科目離れなどさまざまな問題につながっています。教室・大学意識が薄れて個人意識が台頭してきているのはどこかオリンピックの流れに似て来ています。

Isya01 能力や情熱のある若い医者が自らベストと思う研修を受けるべく全国に、というより世界に師を求め、思う存分実力をつけ、自分の腕前で立派に生きて行く、そしてそれを認める実力重視の病院が増えて来たということでしょうか。現在のところ、まだこうした生き方は良く言ってもハイリスク・ハイリターンコースと捉えられているようですが、価値観そのものが進化している中である意味自然なことのようにも思えます。

大学もその流れを感じてか、外科系などでは市中病院や海外で手術や臨床の実績を上げた医師を教授に抜擢するケースが増え、努力の跡が見えるのは進歩と思います。教授に抜擢されれば待遇が悪く仕事環境が貧相でも大学へ就職するケースが多いのはさすがに大学はまだオーラを維持しているとも感じます。しかしそういう努力をしても大学へ就職する若手医師が激減している現実は、付け刃では対処できない問題が大学病院や医局に存在することを示しています。

かつての医師の価値観のゴールドスタンダードは、ひたすら我慢を重ねて大学教授になり、学会の会長をやって花道を引退し、どこかの有名病院の院長になることでした。ただそうして得られるものと失うものを現代の若者はすでに見抜いているように感じるこのごろです。そしてかつてのゴールドスタンダードに背を向ける若手医師が増えている現実を知ることは医師にとっても病院や大学にとっても脱皮し進歩するために大切と思うのです。欧米の大学ははるか昔にそうした試練を克服した歴史があります。

今回のバンクーバー冬季オリンピックを見ていて感じたことの一つでした。

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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