ワールドカップ2010が佳境に入り、ベスト4が出そろい山場を迎えています。
と言っても私(たち)には岡田ジャパンが善戦健闘し去って行ったときから力が抜けてワールド カップも何となく終わったような気持ちになってしまっています。国際的視野をと言いながらこれも人情なのかも知れません。
岡田ジャパンは多くの見せ場を造り、私たちを感動させてくれました。皆さん感謝と満足を抱いていることと思います。
ただ前向きに考えると、評論家は守りの充実に比べて攻撃力の弱さを指摘しています。たしかにサッカーの素人である私が見ても、あれっと思うようなシーンが時々あったように思います。うまい形で相手ゴール近くに攻め入るところであっけなく相手方にボールを取られたり、ここだというところで陣形ができていなかったり。そこは歴史ある競合相手でサッカー命の人たちとの試合であるため致し方ないのでしょうか。
もっと根底的な観点から、その道に詳しい人たちの議論では、サッカーボールが体の一部になるほどにはなじんでいない、まだまだサッカーとの接点が少ないという意見もあります。こどもたちが自由にサッカーを楽しむような広場や空き地が日本には少ないという指摘も耳にします。
そんな議論を聴いていて、ふと外科医の教育、とくに心臓外科医の教育はと考えました。
日本の心臓外科修練体制はまだまだ国際水準には立ち遅れています。個々の若手外科医は優秀で熱心です。若手のためのチャレンジャーズライブの審判をやっていても国際レベルと比較して決して見劣りません。しかし腕を磨く場が少ない。
かつてアジアは欧米豪と比べてまだまだだなあーと仲間内で語っていたようですが、最近の 情勢は日本以外のアジアは急速に欧米に比肩する立派な制度を確立しつつあります。若手が十分な経験を安全に積み、一人前になって行く、その教育プログラムに身をおいて精進しておればおのずと立派に育つ、そういう制度ができつつあります。
それを支えているのが施設集約で、アジアの大学病院や基幹病院・専門病院では年間1000例前後が珍しくありませんし、大学病院では心臓センターのような形で独立して柔軟に動けるようになっています。自分の眼でみて、韓国でも中国でも台湾でもマレーシアでもシンガポールでもタイでもそうでした。一体日本より遅れている国がどこにあろうかという実感を持ちました。10年近く前にベトナムのホーチミン市(旧サイゴン市)の依頼を受けて私たちが心臓外科を立ち上げたチョーライ病院も今や年間1000例の立派な施設に成長しています。
それに比べて日本ではどうでしょうか。近年は日本心臓血管外科学会や日本胸部外科学会でも前向きに検討され、施設集約という言葉が半ば合言葉のような位置を得てようやくコンセンサスができたという感がありますが、一人当たりの手術数では海外に比べてあまりに少なく、それはとくに大学病院において顕著です。本来は大学病院こそ腕を磨ける環境というのが世界の常識なのですが日本では正反対になっているのが残念です。
といって大学病院で頑張っている先生方に非があるのではなく、大学病院の仕組みに問題がある、まさに構造的問題です。とりあえず市中病院とくに構造的問題が少ない私たち民間病院が頑張るしかないと開き直っています。とくに大学と協力し、偏狭な学閥を脱却して全国レベルで有意な人材をそだてる、そういう空気と歴史を創っていくことが大切と思います。
サッカーの将来性ある人材を見ていて心臓外科の有為な若手をつい想い、駄文をものしてしまいました。ご容赦下さい。
米田正始 拝
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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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