患者さんは57歳男性です。
高度な僧帽弁閉鎖不全症と心不全と発作性心房細動のため来院されました。
マルファン症候群をお持ちでした。
この症候群は結合組織が弱くなるため
血管や弁を支える組織がやられることがあるものです。
僧帽弁を心エコーで調べますと
前尖全体が完全に左房側に落ち込んでいました。
その原因はマルファン症候群のため腱索組織が弱くなり伸びきって、
弁を支えられなくなったためと推測しました。
全身麻酔下に胸骨正中切開しました。
壁の性状も良く、
当初予定していました上行大動脈ラッピング(外から補強すること)はやらないことにしました。
体外循環・大動脈遮断下に左房を右側切開しました。
僧帽弁前尖はほぼ完全に逸脱し(写真左)、
前尖そのものはやや肥厚と軽度に瘤化していましたが柔軟性はあり形成には十分耐えられる所見でした。
左房後壁に張り付くような形でした。
僧帽弁輪は拡張していました(写真右)。
まず僧帽弁輪形成術の糸を弁輪にかけました。
ついで後乳頭筋にゴアテックス糸を固定し、
前尖中央部 に3度往復する形で糸をかけ(写真左)、
合計6本の人工腱索で前尖中央部のほぼ全域をカバーしました。
同様に前乳頭筋に別のゴアテックス糸を固定し、
前尖左側に合計6本の人工腱索をかけて(写真右)、
この段階で仮の逆流試験をしますと、前尖と後尖は良くかみあい、逸脱は消失していました。
合計12本の人工腱索にも問題はありませんでした。
そこで硬性リング30mmを縫着しました。
写真左は生食を左室内に充満したところで逆流はありません、
写真上右は僧帽弁前尖を押して逆流を誘発したところ。
逆流試験OKの所見です。
冷凍凝固をもちいて左房メイズ手術を行い(写真右:僧帽弁輪周囲部のブロック)、
129分で体外循環を離脱しました。
離脱はカテコラミンなしで容易にできました。
経食エコーにて僧帽弁の逸脱や逆流が消失したことを確認しました。
リズムは正常で心機能も良好でした。無輸血にて手術を終了しました。
血行動態や全身状態は良好で、
術翌朝人工呼吸を離脱し一般病棟へ戻られました。
リズムも正常でした。その後の経過も順調でまもなく元気に歩行退院されました。
前尖の逸脱に対しましては腱索の短縮や後尖腱索の移動 その他の方法もありますが、
マルファン症候群の方をはじめ、多くの患者さんでは腱索そのものが弱くなっているため、
弁の所見により必要なら、私たちはより信頼度の高い人工腱索を用いています。
アメリカのクリーブランドクリニックからも
腱索の短縮は長期成績に劣ることが報告されています。
また遠隔期には人工腱索表面には自己細胞が成長して平滑になるという報告もあります。
ゴアテックス人工腱索を用いる方法も私たちがトロントで開始した1980年代後半から進歩があり、
最近はドイツのモーア先生が考案されたループ法も使える方法の一つです。
ただしこのループ法は比較的簡単ながら一か所に2本ずつ人工腱索を立てるという無駄があり、
私たちのトロント法の改良型なら一本一本を適切な間隔で立てるため
弁の仕上がりがきれいで、血栓ができる心配もありません。
それ以外にもさまざまな方法が開発され、自らも多数の経験と国内外交流の中で工夫して、
それらの中から個々の患者さんに最適な方法を選ぶことで、
これまで難しいと言われた複雑な弁形成もかなり完遂できるようになって来ています。
術後の逆流が軽微以内であれば長期の安定もよく、
ワーファリン不要のためQOL生活の質も優れたものがあります。
最近は欧米や国内の学会だけでなく、タイ、インド、マレーシア、シンガポール、ベトナム、中国などアジアの仲間たちともこうしたケースの検討をする機会が増えました。
より多くの患者さんに恩恵が届けばうれしいことです。
質問1:マルファン症候群では大動脈の病気が多いと聞いていましたが、僧帽弁なども病気になりやすいのですか?
回答1:そうです。大動脈よりは少ないですが、結合組織が弱いためいったん逆流が起こって弁に無理がかかると進行しやすい印象です。
上記のように人工腱索なら弱い腱索に頼る必要がなくなり、長期間安定しやすいでしょう
質問2:マルファン症候群の患者さんが他に注意すべきことは?
回答2:心臓や血管の定期健診を受け、
血圧なども良好にたもち、ニューロタンなども活用して、なるべく予防につとめ、
予防できない場合でも早期発見に努めれば予後は改善します。
さらに背骨などの骨や眼、皮膚などにも注意し専門家の定期健診を受けることが望ましいです。
私たちは総合診療科や全身治療の経験を活かし、
そうした全身管理のお手伝い、コオディネーターを行うようにしています
それともうひとつ、ご家族の定期健診を勧めて頂くことです。とくに長身で手足や指が長い方がおられましたら、心臓血管の専門医にいちど見せて頂くことが安全につながります。
こうして突然死を免れたケースもあるのです。やはり備えあれば憂いなしですね。
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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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