お便り37 二尖弁がらみの2度の大きな手術を乗り越えた患者さんから

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大動脈弁は通常3尖つまり Bicuspic AVひらひら動く部分が3つあるのですが、

それがときに2つしかないことがあります。

これを二尖弁と呼びます。

二尖弁は必ずしも病気ではありません。

一生弁膜症にならずに過ごされる方も多数おられます。

しかし二尖弁には構造上壊れやすいという弱点があり、弁膜症手術を受けるかたも少なくありません。

 

  近年はこの二尖弁は上行大動脈や主肺動脈の壁にも構造的弱点がある、

動脈疾患であることが遺伝子学的に解明されました。

そこで、マルファン症候群等と同様の結合組織疾患とし34

フォローし安全の確保につとめる方針が一般化しつつあります。

 

下記の60代女性患者さんも二尖弁大動脈弁狭窄症上行大動脈瘤のため9年前、

当時私がいた京大病院大動脈弁置換術と上行大動脈置換術を行いました。

その当時は二尖弁にはまだ大動脈疾患という考え方はありませんでしたが、

私たちは安全のため、大動脈弁二尖弁の置換だけでなく、

拡張した上行大動脈を人工血管に取り換えるようにしていました。

すぐ元気になられ、その後健康な生活  を楽しんでおられました。

2007年ごろの京大病院のごたごた の際にも署名を集め支援をして下さいました。

その後も患者さんの会などでよくお会いしていましたが、

弓部大動脈瘤大動脈基部拡張が発生し、ハートセンターまで来られました。

 

弓部大動脈全置換術大動脈基部再建それも再手術とは大きな手術でしたが、

順調に回復されまもなく軽快退院されました。

 

以下はその患者さんからのお礼のお手紙です。

Person_0116二尖弁などの心臓手術を迷っておられる患者さんのお役にたてるようにと、詳しく書いて下さいました。

しかも、心がつたわりやすいようにと実名で。

 

患者さんと一体感を長年持てるのは医師としてこの上ない喜びです。

ありがとうございます。

 

***********患者さんからのお便り********

 

2002年3月、私は京都大学医学部心臓血管外科の米田正始教授に弁置換、人工血管の手術をして頂きました。

生れつき、心室中隔欠損症、心臓弁膜症の私は、手術後、呼吸が清々しく楽になり、肌の色が、みるみる白く赤みを増していくのを実感しました。

私にとって、不思議な事に、諸々の臓器、網の目のように広がる血管、リンパ管、神経等が、何ら損傷する事なく私は、元気に、生れ変わりました。

 

私は、三人の子供の結婚と、7人の孫達の誕生の世話、老いた母の看護、

母が岐阜市の老人保健施設喜びの里に入所した後の見舞い、

母が亡くなる前の1ヶ月間、母と笠松病院の病室で、起居を共にする事等が出来ました。


そして、私は、念願の絵画の作成に没頭し、

日本アンデパンダン展日本美術会の会員、日本水彩展、講談社フェーマス・スクール、アート・コンテストに入選し、

アメリカ、ニューヨーク市のオープンハウス・ギャラリーで、ジャパニーズ・アートポスター展にも出品する事が出来ました。

これも、すべて、米田正始先生が、多くの先生方達、スタッフの方達と完璧な心臓手術で、

私を健康にして下さったお蔭と思っています。


2度目の手術について、

私は、2010年11月13日、母の葬式を終えて、11月19日、

京都大学附属病院で、超音波検査を受けた結果、弓部大動脈瘤が見つかりました。

映像で、大動脈瘤の両側に、粥状の血の溜りを示して下さった時、

私は、いつも関西弁で検査結果を、丁寧に説明して下さり、患者の思いを聞いて下さる先生に、

「あー、かなんなー」と何度も、口にしました。

「私は、米田先生のところへ行きます」と言うと、先生は、すぐに、

CT検査をして、第1回目の手術の記録を渡して下さいました。

 

名古屋ハートセンターに連絡すると、

米田正始副院長は、第1回目の手術の時と同じように、すぐに診察して下さいました。

先生の優しい解り易い丁寧な説明を聞いていると、

手術の不安が消え、先生の励ましに、心が勇気づけられ安心しました。

12月2日に入院し、6日に手術をして下さる事になりました。

血栓がある6㎝の弓部大動脈瘤を抱えながら、

2~3ヶ月間、手術日を待たなければならなかったら、

その間、実に、辛い不安な生活だったと思います。

CT検査の結果、私は6㎝の弓部大動脈瘤と、その他にも二つありました。

2度目の手術は、前回の手術よりも、リスクが大きいでしたが、

米田正始先生の御執刀と、先生達、多くのスタッフの方達のお蔭で、

前回よりも短く5時間で終了しました。

生きるか、死ぬかというはざまで苦悩する心臓病患者にとって、

すぐに診察して頂き、手術日が早く決まり、

思いやりのある温かい説明、そして、

世界最高水準の心臓病治療をして頂ける事が出来るのは、

この上もなくありがたい事です。



ハートセンターの病室は、心穏やかな色調でまとめられ、

障子とカーテンで区切られたベッド、

心安らかに流れるクラシック音楽、

患者に合わせた減塩食、

毎日、隅々まで清掃して下さるスタッフの方達、

温かい言葉をかけて適切な処置をして下さる看護師さん達と検査技師の方達、

常に、患者の身体の状態を尋ね診察して下さる先生達、

ハートセンターは、何もかも患者の心と身体を配慮しての病院でした。

 

私は、2度、米田正始先生の御執刀で、生命を救って頂きました。

そして、私に、健康な身体と活力を与えて下さり、この上もない感謝の思いで一杯です。

退院後、友人のインターネットで、米田正始先生のホームページを拝読させて頂きました。

その中で、「大動脈疾患について」を検索したところ私の病状である弓部大動脈瘤について、

ある方の手術の経過の写真とその詳しい説明が記載されていました。

 

私が、麻酔で、意識を失っている5時間の間に、

米田先生、先生方達、スタッフの方達は、私には、不思議な事としか思えない高度な医療技術-ステップワイズアーチファースト法、選択的脳灌流等で、

手術をして頂いているのが分かりました。

 

先生のホームページには、医療に関する事柄、諸々の事柄が記載され、

患者達の生命を1人でも多く、救いたいという先生の熱い思いや、

生命への愛にあふれ満ちていると思いました。

ありがとうございます。

 

2011年2月  山田瑞恵


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初回手術から12年半、2回目からでも4年以上の月日が経ちました。

患者さんの会でお会いし、お元気な様子は存じていましたが、お葉書を頂きました。

こころを打つ、うれしいお便りでした。

心臓血管外科医になってよかったと想うひと時です。

お孫さんたちと楽しくお過ごしください。またお会いしましょう。

*******お便り その2******


IMG_0545b残暑お見舞い申し上げます。

先生、ご健勝のことと存じ上げます。

私は、おかげ様で日常生活を元気に過ごし好きな絵画を描き、いくつもの発表の機会に出品しています。

このお盆には、2回目の手術の後に生まれた8番目の孫が加わり、

3家族が集まり賑やかなお盆を迎えました。

これもあれもすべて先生のおかげと感謝しています。

大勢の患者達の生命を救い、そしてその後も多大のご配慮を頂き、誠に感謝しています。

先生のご健勝とご多幸を日々心よりお祈り申し上げています。

 

 

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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