第4回伊賀塾

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医の心、幅広い医療者の倫理や志を論じる学び舎として高い評価を受けている伊賀塾、その第4回の集まりに行ってまいりました。

私、米田正始は前回の第三回からの出席ですが、専門領域の学会などではそう学べない医学医療全域にわたる重要テーマを学べるため楽しみにしていました。

第4回伊賀塾
この伊賀塾はもともと伊賀上野市民病院の活性化のために始まったとのことで、行政当局から同病院の展開にあまり貢献していないため塾をやめるかもしれないという噂を聞き心配していました。案の上、今回をもって終了することになったようで残念なことです。最後の会ということで無理してでも参加することにしました。

 

塾長の小柳仁先生の開会挨拶ののち、伊賀上野市民病院院長の三木誓雄先生が同病院改革の来し方行く末をご紹介されました。一時寂れていた病院をここまで引っ張って来られた同先生の想いが伝わって来ました。老舗ののれん、中国の病院での軍服ユニフォーム、イギリスのがんセンターの構造、さまざまな実例と考察の中から初速ゼロの病院を立派なスピードがでるところまで造り上げられたご努力には感嘆いたしました。ご意見を求められたため、同じ想いをもつ医師としての努力のあり方をお話させていただきました。


カルビー社長の松本晃先生は熱い会社を育てるまでの考え方、哲学とその実践法をお話されました。日本の医療は医療従事者の犠牲の上に成り立っているということを認識しておられることに感心いたしました。

お話のなかでとくにDiversityつまり多様性は松本先生の真骨頂と思いました。たとえば女性を管理職とくに執行役員に多数取り立て成長のエンジンとするなどですね。大学に女性学長がこれまで少なかったのも如何なものでしょうかと問題提議されていました。講演のあと、私は思わず質問してしまいました。Diversityは欧米では当然のことですが、日本式の村社会つまり自分と違う属性の人間を否定する社会の中では、真逆の考えであり、革命的な発想です。しかし頭がやわらかいこどもたちでさえ、自分と違う属性をもつ仲間を、たとえば体が弱い級友がいればそれだけの理由でいじめる、つまり日本人はこどもの時からすでに村社会に毒されている、これを大人になって突然変えるのは大変なことではないでしょうかとお聞きしてしまいました。松本先生がこれを決意をもって努力して克服しておられるご様子がうかがえました。


聖路加国際大学学長の井部俊子先生はこれまで執筆してこられたエッセイの中からとくに面白いものを選んで朗読されました。看護師としての視点とひとりの人間としての視点の微妙なずれを克服する努力は初心を忘れないこととも共通しなるほどと思いました。最後の引用「Do your best, it must be the first class」は皆で肝に銘じたいところです。

 

名古屋大学の杉浦伸一先生は薬剤師の立場から医療改革への努力を続けてこられた経過をお話されました。医療は資本主義社会では測れない暗黙知の上に成り立っている。その暗黙知を形成知へと進化させねばならないことを強調されました。クリニカルパスや医療安全でのさまざまな努力はこの線の上にのっており、大学病院での臨床試験などの膨大な書類もこの観点から考えると手間はかかるが正当性のあるものとあらためて理解できました。人が職を失うと不安になるのは社会とのきずなが切れるから、というのは言いえて妙でした。最後にネルソン・マンデラの言葉、教育は最強の武器(education is the most powerful weapon)という引用に私は感動いたしました。

質疑応答の時間に、あつかましいとは思いながら次のことを申してしまいました。

教育を軽視し、わずかな出費を嫌ったために大きなものを失ったという実例をひとつご紹介します。それは舞鶴市民病院の一件です。かつてアメリカのプロの家庭医をお招きし、すぐれた総合診療教育を行っていた同病院は、全国から多数の若く熱い医師が集まり、隆盛を極めていました。しかし舞鶴市議会から「なぜ一地方都市の病院が教育にお金をかける必要があるのか」という圧力を受けていました。そしてあるときその教育ができなくなり、若い医師たちは去り、病院は崩壊し老人ホームになっていきました。教育へのわずかな出費を渋った市議会のために優れた病院がつぶれてしまったことを皆さんに、とくに伊賀上野市議会の皆さんに知って頂きたい。

もっとも市会議員の皆さんは次の選挙までに実績を出さねばならないため、5年10年先のビジョンまでつきあっていられない、そういうご事情がおありかと思います。いたし方ないものと思いますが、日本で病院医学教育や伊賀塾のような優れた事業を続けるには別の手立てが必要と感じました。


作家の後藤正治先生はベラ・チャスラフスカのお話をされました。最近話題になっている書籍でもあり、私たちの世代には想い出のシーンも多く、熱中して拝聴いたしました。東京オリンピックでもメキシコオリンピックでも優勝した同選手ですが、メキシコの時は厳しい社会情勢のもとでの優勝でした。まだ冷戦時代の中、プラハの春と言われた民主化改革が旧ソ連軍などのために占領、弾圧されていたのです。2000語宣言という改革派の署名をチャスラフスカは撤回せず、苦しくとも「節義」を貫いたことをお話されました。チャスラフスカは冷遇の日々を送りましたが、ベルリンの壁崩壊、東西雪解けのあとはオリンピック委員長にまでなったと聞き、救われた思いがしました。後藤先生の結語、人生は撤回できない、困難な時代はない、を襟を正して拝聴いたしました。

 

京都大学の光山正雄先生は基礎医学者としての40年から想う医学の将来展望というタイトルでお話されました。京大教授会でも良識派であった先生ですので大変参考になりました。たまたま病院から電話があり、拝聴を中座したため全部は聴けませんでしたが、一見地味でも感染と免疫をセットで深く探求されたお仕事は素晴らしいと感心いたしました。個人的には、その時代のトップトピックス以外にも優れた研究があることを皆さんに知って頂きたく思いました。上記の教育と同様、研究費を倹約するというのは長期的に国益を損なうものと思いました。


最後に小柳仁先生がこの伊賀塾を締める講演をされました。テーマは「渾身の心臓外科ーー医療人が人間であること」で、熱い、ほれぼれする人生をあらためて見せて頂きました。志の高さ、患者への愛、自己犠牲、努力、継続、リスク克服、どれをとっても心臓外科医という人種はもっとも臨床医らしい臨床医であると私は思っています。要するに誇り高い医師群と思います。大学を去って、医局などの属性とは関係なく、全国の若手とひとりの医師としてつきあえる現在、彼らが完全燃焼できるようなお手伝いをと思います。小柳先生の生きざまを拝見するなかでそうしたことが湧き上がって来ました。

平素の学会では学べないことが学べる、貴重な場である伊賀塾はこうして終了しました。小柳先生、関係の皆様、お疲れ様でした。


平成26年7月27日

米田正始

 

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執筆:米田 正始
福田総合病院心臓センター長 仁泉会病院心臓外科部長
医学博士 心臓血管外科専門医 心臓血管外科指導医
元・京都大学医学部教授
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